帯広平原通りを中心とした

帯広商店街物語

5.はじめは銀座通り商店会

 帯広平原通商店街振興組合のルーツをたどると、昭和2年に西2条8丁目から11丁目までの商業者が、納税と親睦を目的に任意団体「駅前通り商店街」を設立したのがはじまりである。
初代会長は北海館の小泉碧であった。
 同8年1月、地域の発展を願って名称を「銀座通り商店会」と改称し、会長に菓子の露月、古沢泰一(西2粂10丁目)が就任した。当時から、全国いたるところで「銀座」の名が付けられ、ひとつのブームであったのと、市制施行に備えて商工会の指導に応じた改称と推測される。
 しかも「銀座通り商店会」は行政区画の呼称とは逆で、駅前の11丁目を銀座1丁目、西2条8丁目を銀座4丁目としたので、住民からは「分かりにくい」と評判はあまり良くなかった。その後、丁目をはぶいて単に「銀座通り」と呼ばれるようになった。                                                                                     
 昭和8年4月1日、帯広町に市制が施行された。一級町村になったのは道内で58番目と出遅れた帯広ではあったが、それが道内7番目の市制施行というのだから、飛躍的な発展をとげたことを裏付けている。
 その頃、西1・2条の仲通りは「神田館通り」(ミマス館通り・親不孝通り、後の幸通り)と呼ばれていた。
 これにならって、大通りと西1条の仲通りが「中央通り」と名乗った。また戦後になって、親不孝通りの一部が「東銀座」、中央通りの一部が「名門通り」となり、新たに西2・3条仲通りの一部が「都通り」と名付けられた。

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